2010年6月7日月曜日

倭王墳に共存する図書館/堺市立図書館

堺市立中央図書館・見学記
2009年2月24日(火)
 堺の町は、仁徳天皇量など天皇陵といわれる巨大古墳の宝庫である。また、中世から近世にかけて自由貿易港として栄え、戦国時代の最新兵器である火縄銃の生産と流通をほぼ独占して、巨万の富を蓄積した。そのような環境から、茶の湯の「天下3宗匠」といわれる千宗久、津田宗及、千利休が現れ茶の道を天下に広めて行く。特に千利休は、侘び茶の道を大成した千家流茶道の開祖として名高い。
 堺市中央図書館がある大仙公園は、あの仁徳天皇陵といわれている巨大古墳に隣接した広大な敷地の一角にある。この公園の中央付近には、壮麗とまではいいえないが優美さを備えたといって過言ではない市立博物館がある。博物館の入り口手前に2棟の茶室があり、その入り口に1対の石造がある。千利休と利休の茶の湯の師匠にあたる武野紹鴎の像である。市立博物館の前にその象徴としての1対の石造を見て、われわれは堺市の市民が最も愛する文化人を見るのである。茶の湯の文化の発祥の地、堺の市民はこのことを最も誇りとしているのだと感ずるのである。千利休の先輩格に当たる千宗久は茶の湯の名人でもあったが、天下一の鉄砲商人でもあった。現代版死の商人である。当時堺の町は、織田信長の庇護の下にあり、一定の自由自治の寛恕の元に、ほぼ独占的な鉄砲商人街を形成していたようだ。まず、日明貿易の集積港として培った国内外の交易に長けた商人が多く住んでいたし、中世から培ってきた鋳造技術を持つ職人集団を近郊に擁していた。また、後背地には良質な綿花の栽培地が広がっていた。(綿花は、火縄の原料となった)
 戦国時代末期に大量に必要とされた良質な鉄砲その必需品である火薬、火縄の材料を注文に応じて大量に調達し、製造販売する条件を日本で最も多く備えていたようだ。さらには、天下人たる織田信長、それを襲った豊臣秀吉、続く徳川家康らの本拠地もいずれも堺に近かった。堺の町は秀吉の時代に自由都市の象徴としての環濠を埋められてしまう。そして千利休も秀吉により殺害(実際には切腹を命じられた)される。その後の、大阪夏の陣で徳川側についた堺衆を天下人となった家康は保護に努めたが、太平の世の到来は鉄砲や大砲の大量生産をもはや必要とせず、その後の鎖国政策と西廻り・東廻りの航路の基点としての大阪が17世紀には天下の台所となり、堺の町を急速に衰退させた。
 千派の湯の道は千利休と関係が深かった大徳寺によった孫の千宗旦が千家を再興し、宗旦の次男・宗守が「武者小路千家官休庵」を、三男・宗佐が「表千家不審庵」を、四男・宗室が「裏千家今日庵」をそれぞれ起こすにいたる。こうして、千利休のとき堺州の茶の湯道は天下の配するところとなり、それを演出した秀吉自身の手により系統をたたれ、京の地において再興されるに至るのである。堺が生んだ交易と茶の湯2大文化は大阪と京都に引き継がれていく。
 幕末に結ばれた日米修交通商条約で幕府は堺・兵庫の開港を提案したが、ハリスの主張を入れ大阪開市、兵庫開港がきまりここでも国際交易都市堺の再興は頓挫する。
堺は、近世に入っても大規模な港の改修工事をつづけ、明治に入って全国に先駆けて官営レンガ工場が、また富岡についで2番目の官営紡績工場がつくられた。1903年の内国勧業博覧会には、当時としては国内最大規模の水族館が誘致され、京阪神位置のリゾートゾーンとして多くの観光客を引き寄せた。堺の町も再興に向け順調に歩みを進めたかに見えたが、先の大戦の際の戦災で旧市街地の大部分を消失した。堺の町の悲劇は続くのである。
 大戦後は臨海工業地帯の造成と工場群の誘致に成功、さらには京阪神地区のベットタウンとして泉北ニュータウンが造成され、重化学工業地帯および京阪神のベットタウンとしての性格を色濃く帯びることとなる。

 堺市立図書館は大正5年市西部の中心街に立てられた。戦災で図書館は燃えるも資料は全焼を免れた。昭和46年に現在の大仙公園内に新館が立てられた。基本設計は大阪市立大学栗原研究室(栗原嘉一郎、後の日本図書館協会施設部会委員長)が担当した。地下3階地上2階、延べ床面積4,600平米と当時としては最も進んだ図書館建築思想と技術により作られた。2階部分には各所に天窓構造が採用され自然光を取り入れられるよう工夫してある。屋根は上から見ると百舌が羽を広げた形をイメージした構図となっているという。(この地区は古くから「百舌」といわれる地名を持った)1階部分には、玄関口ロビーが広く取ってあり、開放感あふれる空間が取られている。基本機能は2階に集中しており、サービスがひとつのフロアーでできるように工夫されている。
 新館開館当時から司書採用を行っており職員の司書率が高い(正規職員92名中75名が司書)。さらには全市にくまなく分館を設置しいて、6地区館(1500~3000平米)7分館(150~500平米)2台の自動車文庫が配置されている。しかし、現在の資料費用は市民一人当たり92円と横浜市についで少ない。このことにより、登録率が41%と健闘はしている反面、貸出率は市民一人当たり5.3点とそれほど高くはない要因となっているようだ。
 堺市立図書館が、この間図書館界の耳目を集めた事件が2つあった。ひとつは分館の指定管理者制度導入化が図られたことである。これは市民団体などの反対があり、今のところ顕在化していない。一方、昨年1市民からBL(ボーイズ・ラブ)資料の公開に対する住民監査請求があり、これに中央図書館はBL本の公開書架からの撤去と18歳未満の利用者への貸出禁止を表明、これに対する図書館関係の民間団体や上野千鶴子氏らのグループの反対などを経て、貸出の解禁を決めた。図書館の方針が2転3転したいわゆるBL問題があった。
堺市立図書館はこれら2つの問題に対し公式の総括を行っていないので、これらの問題はいまだにくすぶり続けていると思われる。
 
 図書館の特色としては2つほど特筆すべきものがあるとおもう。
ひとつは郷土資料の充実である。昭和の初年に「堺市史」が編纂されそのときに収集された資料がコレクションの主部を形成している。図書館では一部これをデジタル化しインターネット上で公開している。さらには、安西文庫2,600点(安西冬衛:詩人)、上林文庫4,400点(上林貞治郎:経済学者)、後藤文庫1,000点(後藤清:法律学)、仲西文庫2,000点(仲西政一郎:登山家)、久野文庫20,000点(久野雄一郎:考古学)など遺贈された個人蔵書のコレクションも注目するところだ。
 次に、子どもへのサービス特に学校支援活動が盛んである印象を受けた。これには幾つかの要素があるようだ、ひとつは司書率が高く職員の資質がこのような活動を支えていること、二つには学校図書館支援センターを中央と地区館に設置し、各図書館に2~3名のスタッフを配置し、彼らが区内の重点校に集中的な支援を行っていること。3点目に堺市子ども文庫連絡会傘下の13の家庭文庫・地域文庫の存在やおはなし・絵本のボランティアグループ(13団体)などが、学校への出前読み聞かせや区民祭りとの連携事業、学校訪問、保健センターとの連携によるブックスタート事業などが積極的に行っていることがあげられよう。(ブックスタート事業は1000万円の予算が、市民の直訴により査定された)
 いっぽう、図書館を支える市民グループのその他の活動も活発であるといえる。これには二つの系統があるようだ。ひとつは図書館サポーター養成講座請講座を修了した「図書館サポーター倶楽部」による、ほんの修理や書架の整理、図書館行事へのスタッフ派遣など。一方は「ネットワークと・ま・と」につどう読書会や点訳グループ、音訳グループ、個人ボランティアなどによる図書館関係のボランティアの育成・研修を目的とした行事の積み重ねなどである。これらのまことに重層的な市民同士の協力関係の織り成す成果が、図書館による地域コミュニティー形成に果たす役割・可能性の重さををあらわしているといえよう。ちなみに、これらの活動を背景にした「堺市立図書館協議会」の平成20年8月の「意見書」は副題として「地域コミュニティーに貢献する図書館を目指して」となっている。
 この中で注目されるのは、(指定管理者制度に関連して)「堺市の図書館の運営形体」を章立てしていることである。
ここでは、図書費の充実と、司書の専門性をより発揮されるための体制作りを求めながらも、アウトソーシングの活用などによる管理運営の効率化は不可欠とし、図書館の管理運営計画を決定するに当たって以下の視点を十分検討すべきとしているのである。
・運営形体が市民本位のものであり、そのために市民のニーズを的確に把握する。
一般論ではなく当該館の歴史を含む地域の実情にあったものであること。
職員の専門的知識や能力が十分発揮できること。
中長期の視野に立った判断をすること
さらに、専門的業務の中に「市民の課題解決」「子育て支援・子ども読書支援」「地域活動への支援」に専門の担当を配置する、中央図書館に全館企画立案、ビジネス・行政支援地域情報の収集活用する担当を専任で置くという具体的な提案をしている。
むべなるかなというべき内容である。

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